先月、母方の祖母が亡くなりました。
死因は老衰。亡くなる1か月前に95歳になったばかりでした。
病気で亡くなったわけではなく、天寿を全うしてくれた形だったので、そこはありがたかったです。
でも、寂しいです。
10年近く前から特養老人ホームでお世話になっていて、最期に息を引き取ったのも、ホームの自室のベットの上でした。
今年に入ってから徐々に食欲が落ちてきてはいたそうなのですが、亡くなる1週間前くらいからほとんど飲み食いができなくなってしまい、「そろそろ看取り期に入りそうだ」という連絡が施設から母の元に来ました。
その連絡があった次の日くらいに、さらに「容体が急に悪くなったから、顔を見られるときに見に来てください」という連絡があり、私も急遽会いに行きました。
コロナ禍で、老人ホームでの面会が一切禁止となっていたため、私が祖母に会ったのは約3年ぶりでした。
元々認知症がひどく、私が一人で会いに行っても「あなた誰?」状態ではあったのですが、それでもまだ対話はしっかりできていたので、目も開けずぐったりとベットに横たわって、苦しそうに呼吸をしていた祖母を見たときは、衝撃を受けました。
それでも話しかけると足を少し動かしたりして反応を見せてくれて、「誰かが来ていることはわかっているんだな」と思いました。
それが亡くなる3日前のことだったのですが、前日にまた母と姉と3人で会いに行きました。
前回よりも安らかな顔をしていて、呼吸も苦しそうではなかったので、少し安心していたら、まさかのその次の日に息が止まったと連絡があり、驚きました。
急いで会社に事情を話し忌引き休暇をいただき、前夜式と告別式に参列し、最期のお別れをしてきました。
亡くなった母方の祖母は、日本では珍しいクリスチャンで、生前ずっと通っていた教会で告別式をしていただきました。
とても穏やかで、優しくて、料理も裁縫も上手で、本当に素敵なおばあちゃんでした。
前夜式や告別式でも、教会の方々や親戚からとても愛されていたことが伝わってきました。
ほかの宗教の葬式に出たことがないため詳しくわからないのですが、教会では式中に親しい方から故人との思い出を語っていただく時間があります。
その話を聞いていたら、本当に教会の方々からもたくさん愛されていたのだなというのを感じました。
私自身そこで初めて知ったのですが、祖母は元々所属していた教会が戦時下で焼けてしまい、教会を再建するときにとても貢献したメンバーの一人だったそうです。
礼拝には絶対に欠かせない楽器であるオルガンを心と思いと命を尽くして用意(戦後直後だったため、相当大変だったようです)して、自ら教会まで運んだり、教会学校の教師をしたり、開拓伝道を熱心にしていたそうでした。
それを聞いて、私はとても驚いたことがありました。
「待って、
私教会でよく踊って神様に讃美をささげているし、
讃美の引導も一時期ずっとやっていたし、
教会学校の教師は今現在進行形でやってるよ!!(;゚Д゚)」
すごくないですか???知らず知らずのうちに祖母と同じ使命をしていたというw
祖母が神様に尽くしてやってきたことが、孫に全部返ってきていたと知って驚きました。
私が今まで讃美関連の使命や、教会で子どもたちを教える使命をやっているのは、すべて祖母の義があったからだったようです。
「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。
ヨハネの黙示録22章12節
神様が祖母の義(行ない)をすべて覚えて、受け取っていらっしゃるんだな、聖句の通り、本当に行ない通りに報いてくださる神様なんだな、と一人心の中でハレルヤしていました。
祖母が神様とイエス様にささげてきた愛を、義を、受け継いだ者として、私も祖母のように最後の最後まで神様とイエス様を愛して生きたいです。
会えないのは寂しいし、悲しいし、なんなら今この記事を書きながらも泣いているけど、祖母の霊魂は神様のところにちゃんと行けたと信じて、前を向いて生きようと思います。
私も地上で肉体が生きている間は、熱心に義を行なって生きようと改めて決心する機会にもなりました。
おばあちゃん、美味しいごはんをたくさん作ってくれてありがとう。
たくさん一緒に遊んでくれてありがとう。
ベットカバー、手作りで孫一人ひとりに作ってくれてありがとう。これからも大切に使うからね。
たくさん笑わせてくれて、楽しく嬉しい思い出をくれてありがとう。
わがままにも付き合ってくれてありがとう。
大好きだよ。
愛してる。
天国で、また会おうね。
そして最後に、祖母の霊魂を受け取ってくださった神様に、心から感謝します。
私も霊魂が神様の近くに行けるように、熱心にがんばります。