愛を拒絶してしまう私

闘病の経緯

こんにちは(/・ω・)/

 

 

先日、ディズニー映画『ベイマックス(“Big Hero 6”)』を見ました。

3回目。1ヶ月くらいの間に3回見ているw

 

 

ベイマックス可愛すぎるからね。

 

 

 

面白いのは、神様信じ始めてから、映画やミュージカル、ディズニーリゾート…なんでもかんでも、触れたものの中から悟りをもらうようになること。

 

メンバーならみんな同意するんじゃないかなと思いますw

 

 

映画『ベイマックス』も同じで、3回目見た時、1,2回目見た時とはまた違う悟りがありました。(1回目の悟りについてはこちらの記事へ)

 

 

 

 

急に暑くなったことも関係しているかもしれないのですが、最近、悲しくなるほど何に対してもやる気が起きず。

「なんかだるい」という状態が続いています。

 

体が元気ないと長く祈れなくて、だんだん祈れなくなってくる。

無理矢理祈るけど、深く祈れなくて霊的なストレスが溜まる。

「祈れない自分なんて…ダメだ…」となって自責に入る。

そして神様から遠ざかる…。

 

 

会社にちゃんと通勤していた時と全く同じ。

 

 

仕事の忙しさや気疲れで疲れきって、体調が悪くなってくる。

すると祈れなくなってくる。もはや祈り以前に寝ていたい。

そして霊的に落ちていく。

同時に会社でも仕事がうまくいかなくなってくる。

「霊肉共に…私ダメダメだ…」と自責に入っていく。

 

 

 

全く同じパターン(=゚ω゚)ノひゅーひゅー☆彡

 

 

 

ということで(?)、すっかり自暴自棄になり、やけくそになって『ベイマックス』を見たところ、神様からすごい愛のメッセージを受けて号泣しました( ;∀;)

 

 

日本で『ベイマックス』が上映された際、AIさんのStoryという曲の英語バージョンがED曲として採用されました。

 

 

その歌詞がめっちゃいい!

 

AI ~ Story ~ English Lyrics Video Disney's Big Hero 6 Japanese Main Theme

 

※和訳はこちらのサイトをご参照くださいm(_ _)m

 

 

 

ヒロとベイマックスの別れと再会のシーンで毎回泣かされるのですが、今回はそれよりこの曲で号泣しました。

 

 

まさに、この歌詞が神様から今の私に向けたメッセージだと感じたからです。

 

 

特に

I didn’t show my heart, afraid to be apart

心を開けなかった 離れるのが怖くて

うたまっぷ.com Story(English Version) AI より引用

 

 

 

これ、まさに私の心!!( ゚Д゚)

 

 

 

って思った瞬間、もう号泣でした。

 

 

「神様は、祈れなくても調子が悪くても、そんな私でも受け入れて愛してくださるのに、私は神様を信じることができてなかったんだ。

神様に見捨てられるんじゃないかって。

 

 

 

それに、

受け入れたら今度は、失うことが怖いから、神様の愛を拒絶しているんだ。」

 

 

 

愛着障害の人の中には…愛情を拒絶するケースも見られます。

長沼睦夫『「敏感すぎる自分」を好きになれる本』(青春出版社、2020年)86p

 

 

「愛されたいけど、その愛を失うのが怖い。」

 

 

「幸せになりたいはずなのに、幸せを享受するのが怖い。」

 

 

どうしてかって?それは、

 

 

 

「幸せは、いつか壊れる。長くは続かない」から。

 

 

これらは、カウセリングに通っていた時、カウンセラーに指摘されて気づいた私の思考の癖でした。

 

 

 

親の気分によって、天国のように幸せな雰囲気や空間が、一瞬にして壊れる。

殺伐とした雰囲気、地獄のように居づらい空間に変わってしまう。

 

 

幼少期、そのような家庭環境で過ごしてきた子どもは、人の顔色をうかがうようになり、親に合わせて生きる傾向が強いそうです。

 

 

まさに私自身、父親の気分がコロコロ変わり、いつ機嫌が悪くなるか分からない人でした。

機嫌よくニコニコしてたかと思えば、ちょっとしたきっかけで急変し、物を投げたりおどしてきたりする人だったので、無意識の内に親の顔色をうかがうようになりました。

そして「いつこの楽しい時間が壊れるんだろう」と、父親が家にいる時は、ひどく緊張しながら過ごしていました。

 

教会に通い始めてからは、父親の両親、つまり私の祖父母を見ていたら、「父親がこんな風に育ったのも分かるな」と思えるようになり、今となっては別に父親を恨んだり憎んだりはしてないですけどね(;^_^A

 

 

とりあえずいつも安心できなくて、怖かったんですよね。

 

 

学校でもいじめがあって、いつ自分の番が回ってくるかって怖がりながら過ごしていたし。

 

 

人生を振り返ると、いつもどこでも、自分が安心していられる居場所みたいなのが、ありませんでした。

 

 

 

なかったというより、自分が安心して心を開くことができなかった、と表現した方が正しいですね。

 

 

 

教会はまぁまぁ安心できるというか、居心地は良い。

でも正直、不安はある。

 

 

 

心を開いて安心しても、もし失ったら??

 

 

 

「子ども時代のように、一瞬にして天国は壊れてしまうかもしれない。」

 

 

 

その不安が、安心して心と身を委ねられないようにさせるのです。

 

 

 

だから、いくら「神様の愛は永遠だよ。変わらないよ」と言われても、怖い。

正直。

 

 

愛を受け入たとしても、壊れてしまったら?

その時のショックを想像すると、耐えられないのです。

 

 

だから、受け入れられない。どうしても拒絶してしまう。

 

 

「永遠に変わらないものなんてあるの?」って、どうしても疑ってしまう。

頭で理解できないから受け入れられない。

 

 

とても信仰悪い人に思われるかもしれないけど、本気で正直な私の気持ちです。

 

 

 

 

でも、どこかで感じてはいる。

 

 

「このままじゃいけない」って。

 

 

結局、自分の思考が自分を不幸せにしているだけっていうのは、論理的には理解しているんだ。

 

 

神様についても、どれだけ愛が大きいのか、知らなければなりません。

人間は神様を愛し、神様は人間を愛する。永遠に愛し合う。肉体は一生、霊は永遠に愛する。それが神様の目的です。

神様が私たちを愛するだけでは御心が成されません。私たちも愛してこそ、神様が願うことと私たちが願うことが成されます

愛を知らなければ生きる味が分かりません。

 

愛は、私たちが神様を愛することが先ではなく、神様が、私たちが生まれる前から、地球を創造した時から人間を愛で、愛そうと決心して、愛した。

だから、私たちが先に愛したと思うな。いつも神様が先に愛したと考えなさい。一番は、神様のものです。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

 

神様の愛は絶対。

変わらない。

 

人の心が変わるだけ。

 

でも、失うことを考えてしまう。どうしても。怖い。

 

 

…真実に、自分と向き合って直さないとなぁ(-_-;)

 

<何でもないこと>も、「実践に怠けている人」は数年も後回しにして、やらない。

聖霊の感動>を受けたら、すぐにやるようになる。

<祈れ>ば「実践の始動」がかかる。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

 

何年間もずっと、この根本的なトラウマというか思考と闘ってきたけど、本当にサヨナラしないと、自分が死んでしまいそう。

 

そうなる前に、直さないと…。

 

 

『ベイマックス』3回目の視聴を通して、自分の根本的な課題を突き付けられたのでした。

 

 

力が足りないから、聖霊様力をください( ;∀;)

 

死んでもできないという言葉を言うな。死ぬ直前までやってみなさい。人間が行き詰ったり死にそうになったとき、神様か誰かが現れてその問題を解決できるように助けてくれる。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

 

 

実践あるのみ。

 

近い将来、幸せを享受できる自分になれますように。