祖母が亡くなりました

闘病の経緯

ゴールデンウイークの最終日に、祖母が亡くなりました。

うつ病でずっと「私はもう死ぬの」「死にたい」を連呼していたわりに90歳以上生きて天寿をまっとうしました。

病気や事故ではなく老衰だったので、感謝だなと思います。

亡くなる1か月前ほどから容体が悪くなり、入院していた期間もあったので覚悟をする期間はしっかりあったのですが、いざ亡くなるとやはり悲しいですね。

暴君レベルでわがままで生涯ずっと家族共々振り回されてきたのですが、それでもたくさんかわいがってくれたこと、愛してくれたこと、遊んでくれたことを思い出すと悲しくて涙が止まりませんでした。

もっとよくしてあげられなかった自分が情けなくて、悔しくて、神様の愛を伝えられなかったことが悲しくて、余計に精神的に自分を追い込んでしまいました。

タイミング悪くその日は水曜礼拝があったので、教会に行きました。

教会に着いた途端安心して気が抜けてしまい、プツンと切れたように号泣してしまいました。

みんな祈っていたので気づいていないとは思いますが、見かけてしまって心配をかけた方がいたら申し訳ないなと思いながらも、涙は止められなかったのでめっちゃ泣きました。

連鎖して祖母だけではなく、これから親や友人などさまざまな身近な人たちの死を経験していくことや親の介護、親が亡くなった後のさまざまな手続きなどを考えると気が重くなりました。

引っ越し直後で疲れていましたし精神的にも落ちていたこともあり、祖母の死をきっかけにかなり悪い方向に考えが引っ張られたのでした。

「このような思いをしてまでどうして生きないといけないのだろう。好きで産まれてきたわけでもないのに」など神様に対して失礼な考えも山ほどしました。

悲しみの感情とネガティブな考えを治めることができなくて下降の一途をたどっていたその日の御言葉は「あなたはいつも神様、主に感謝しなさい」でした。

感謝しなさいという内容に加え、以下の部分が刺さりました。

自分の心は神様の考えではありません。神様の心で行なえばいつも祝福が開かれています。万事栄えます。事故がなく安泰です。まっしぐらに行けます。神様の御心どおりにすれば、いつも自分の前に祝福の門が開かれています。
自分の心を神様の御心に委ねれば、神様の心が自分のところに来て、体が神様の心のままに動いて神様と共に行ないます
自分の心に合わせて生を生きるのではなく、神様の心に合わせて行ないなさいということです。そうしたときに万事が栄えます。
神様が行なわれた万事を見ると、人間は思ってもいなかったものを見るようになります。だから人は自分の考えではそのような石や出来事を考えていなかったから拒否します。
人間の脳と考えの水準のものを買ってきて、置いたら、神様の心が満足するでしょうか。神様が願われるものを買ってきて、置いて見たときに、神様も人も心情に喜びが満ち溢れます。


鄭明析(チョンミョンソク)牧師の説教より抜粋

人間の水準で考えたらだめですね。

悲しみにばかり目が行っていましたが、喜びを考えて無理矢理にでも感謝するように努めたら、気持ちが落ち着きました。

やはり御言葉がないと生きていけません。

御言葉でいつも私の心を生かしてくださる神様に感謝します。

祖母にもう会えないのは悲しいですが、こういうことも乗り越えて強く生きます。

後悔のない生を生きられるようにがんばります。

この記事を書いた人
こころ

2015年8月に適応障害の診断を受け、2019年2月から1年1か月休職し退職。今は障がい者雇用枠で働いています⭐︎
自分の心理を分析しながら、心の傷を癒していっています(^^)
キリスト教福音宣教会会員として神様の愛を学びながら、自分と他人を愛せるように頑張っています☆
ディズニー大好きで、特にベイマックスが大好き!(●ー●)
ディズニーのアトラクションは、ベイマックスのハッピーライドが1番好きです!
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