ずっと悩んでいたことがありました。
それは、自分の心がコロコロすぐに変わることです。
固く強く決心して「もう変わらない!」と思ったのに
すぐに思う通りにうまく行かないと、決心が崩れ
「もうやだ、どうしてこんな大変な思いしなきゃいけないの。
神様の御心(=願い)じゃないのか」
このように考えて、諦めそうになったり、二度と変わらないと
決心したのに揺れる自分自身を責めたり、怒ったり、
心が弱い自分は変化できない、と落ち込んでばかりいました。
そんな時、鄭明析牧師が私の苦しみを解いて下さいました。
牧師先生は、説教の中で神様はこう考えているよと教えて下さいました。
人は「人間の心はどうしてこんなに変わりやすいのだろう?」と言います。
心が変わりやすいからそうなのではなく、<神経>が鋭敏で、その反応を「自分の心」が感じるのです。
<神経>が鋭利だから神経が感じ、その反応が脳に伝わって、それによって考えが判断して、嫌いだったり好きだったりするのです。
<神経が鋭利でよく感じること>も「祝福」です。
しゅ、祝福!?
私は欠点だと思って、大嫌いだった部分を
先生は「神様の祝福だ」と仰いました。
神経が鋭利でないと綿密なことを感じられず、何事も大雑把にやるんだーと。
確かに。笑
だから「祝福」なんだと教えて下さいました。
更にこんなことまで教えて下さいました。
できないという方にずっと神経を使ったら、憂鬱(ゆううつ)になり、怖く、負担になり、諦めるようになります。
そのような時は<神経>を治めなければなりません。
「できない。私は駄目だ」という方面には神経を切らなければなりません。
<脳神経の鋭利な部分>は、‐「心配し、憂(うれ)い、不安がる方」に使わないで、‐「霊の世界を知るところ」に使い、‐「神様の御言葉を受け入れるところ」に使えばいいです。
先生の御言葉はとても明確でシンプルで、問題をはっきりと裂いて下さるし
いつもどうやったら解決できるのかまで教えて下さるから
御言葉を聞くと脳が整理されてとてもスッキリします。
今回も、<心が変わること>が問題なのではなく<鋭利な神経を治めないこと>が
Kokoroの問題だったのであり
短所だと思っていた<神経の鋭利さ>は<祝福>であり、<使う方向>が間違っていたことが
Kokoroの問題なのでした。
先生に出会い、御言葉を通して神様に出会い、
苦しみから解き放たれたことが、数えきれないほどあります。
だから大変でも辛くても、時には疲れて教会に行きたくなくても
御言葉の味、苦しみから自由になれる喜びを知ったから
御言葉なしには生きられないのです。
神様に合わせてくれるこの御言葉
もっと価値を分かって、大切に生活の中で活かしていきながら
もっと自分を素敵に作れるよう、明日も頑張ります!!(*´ω`*)