6月は久々にとてもメンタルが落ちていました。
6月は新年度の疲れが出やすいですし梅雨(低気圧が続く)ですし、いろいろ重なってやられています。
いろいろもがくことも多く、自分をまた無意識のうちに責めていて自爆しているのも要因の一つだと思います。
けど一番大きな原因は、減薬かもしれません。
実は今年に入ってから、少しずつ服薬量を減らすことに成功し続けていました。
(多分)昨年末にベイマックスとヒロに会えた喜びで精神的に調子がよかったので、2錠が1錠になったり、薬の数は同じだけど成分量を半減させたりと、少しずつ薬の量を減らしていました。
そのたびにイヤッホーイと喜んでいたのですが、5月くらいから徐々に元気がなくなり、そのまま2か月ほど不調が続いてしまいました。
霊的な問題も感じてはいるのですが、ふと「調子乗って減薬していたのも原因の一つでは?」という考えが思い浮かびました。
メンタル面で調子がよいと、どうしても自分が病気ということを忘れて調子に乗ってしまいます。
けど、正常だったらメンクリに通うこともないし薬もいらないですよね。
病気を言い訳にしたくないのであまり考えないようにしていましたが、メンタルが落ちると「あーやはり自分は病気なんだなぁ。薬がないと生きられないのだな」と落ち込みます。
「どうしてこんな思いをしてまで生きないといけないのだろう」、「好きで生まれてきたわけではないのに」など、生きるのが嫌になりました。
そんなときに説教の中で、このような成句が出てきました。
イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。
マルコによる福音書2章17節
私はこの聖句がとても好きです。
病気だし、できることは少ないし、すぐに体調を崩すし、メンタルの上がり下がりが激しすぎるし、調子がよいときと悪いときで別人のようだし、自分の主観が強いし、頑固だし、神様の前で決して「よい子」とは言えない自分を見ると落ち込みます。
けど、そういう人のために、罪人のためにイエス様が来てくださったんだと思うと、「逆に自分こそイエス様が、神様が必要な人だ」と思えて少し元気になります。
こんな私だけど、神様に近づいていってもいいんだな、と心が軽くなります。
聖句一つに本当に救われます。
この聖句を脳に刻んで、調子が悪いときほどもっと神様とイエス様にすがりつく新婦でありたいと改めて思いました。
がんばって生きよう、私。