Xを見ていたある日、こんなタグを見つけました。
「#推しのダメなところを紹介する」
「えー何この愛おしいタグ~」と思って感動を受けて私も推し代表ベイマックスのダメなところを書いて参加しました。
けどふと思ったのです。
「これって本当にダメなところなのか??」と。
「こういうダメなところも愛おしいことを考えると、それって『ダメな』だと言えるのか??『ダメ』ではなくて、それも魅力の一つではないか??」
という感じで「『ダメ』とは何か?」「『欠点』とは何か?」という哲学的なことを考え始めてしまいました。
「ダメなところ」は確かに「欠点、弱み」ではあり、それによってトラブルが起きるので文字通りに「ダメなところ」ではあると思うのです。
例えばベイマックスだったら、バッテリーが低下すると酔っ払いみたいになって逆にお世話してもらう立場になってしまうし、ヒロ・ハマダは社会と大人をなめ切っているあまりたくさん痛い目を見ているし、ハニーレモンは化学が大好きすぎて部屋を凍らせたりしてルームメイトを何度も怒らせています。
うぉーい(笑)と思うと同時に、
でもやはり愛おしくないですか?
オタクは推しのダメなところも含めて愛しているのです。
推しのすべてを受け入れる覚悟で向き合って推すのです。
ダメなところも推しの大切な魅力の一つだからダメというよりはそんなあなたが好きですと思っています。
そこでふと気づきました。
「もしかして神様も同じ気持ちで私のことをご覧になっている可能性ある?」
私は自分の長所は小さく見て、短所や欠点は大きく見る傾向がとても強く、「どうしてこんなこともできないんだ」「どうして『普通』になれないんだ」といつも自分を虐待してしまいます。
自分のことが好きになれません。
欠点ばかりで嫌になります。
「こんな私なんて、神様にとってもお荷物だろう。喜びの元というより、悩みの種だろう」とまで考えてしまいます。
けどハッシュタグ「#推しのダメなところを紹介する」について深く考えた後、ハッとしました。
「推しに対して抱いている私の思いのように、神様も私の欠点をも愛おしく思ってくださっているのだろうか?」
心が狭い人間ですら推しに対してはすべてを受け入れる心を持てるのに、ましてや寛容な神様はどうでしょうか。
「直してほしい」と思っていらっしゃるとは思いますが、人間のように欠点を嫌ったり憎んだり恨んだりしないのかもしれません。
そこすらも愛おしく思い、それでも天国に行くまでには一緒に直していこうねという寛容な心でご覧になっているのかもしれません。
そう考えると、自分の欠点を憎む行為は間違っているのかもしれないと思い始めました。
ものすごく軽い気持ちで便乗したハッシュタグを通して、まさか神様の心情を感じるとは夢にも思いませんでしたw
ほんと、何が起こるかわからないよね!(読者よ、悟れ)
推しへの愛を通して、神様の愛についてももっと深く悟れるよう、祈りながら推し活をしていきたいと思いました。
そして推しを愛でる気持ちで、自分のことも貴重に見て大切にしてあげられますように。
がんばります!(^^)!