ブログでも本でもずっと課題として書き続けていた「自己肯定感」ですが、未だに課題として残っています。
「自分のことを認めてあげ、許してあげ、信じてあげ、愛してあげられるようになれば、連動して起こっている問題も解決する」ということは頭では分かっています。
この壁にぶつかるたびに「自分のことを好きになろう!」と考えはします。
けど、同時に「恐怖」という感情も出てきてなかなかできずにいます。
「自分のことを好きになっていけない」という思考は、幼少期の家庭環境や学校でのいじめの経験から主に形成されていると思います。
けど「自分のことを好きになるのが怖い」はどこからきているのだろう?と疑問を抱きました。
深く考えてみたところ、「自分を好きになる=嫌われる=孤独になるのが怖い」という思考回路がありそうでした。合っているかは分かりませんが。
そもそも「自分を好きになる=嫌われる」という方程式がどうして成り立つのかというところからお話します。
これは私の祖母からきています。
本人には申し訳ないですが、正直に言うと祖母は超メンヘラです。
自己肯定感がなくて超自己中心的でわがままです。言動が暴君レベルです。
なので家族からも嫌われています。
私は「祖母は自分のことが大好きだから自己中心」なのだと勘違いしていて、「自分のことが大好きな人」=「自己中心」というイメージを幼少期から持っていました。
けど最近になって友達に祖母の話をしたら、「それは自分のことが好きなのではなくて、逆に自己肯定感が低いから、わがままを言って周りが自分を受け入れてくれるか試しているんだよ。周りに承認してもらうことで愛を確認しているだけだよ」と言われ、目から鱗でした。
そういうことか!!と衝撃を受けたものの、長年の間違った方程式がこびりついていて、どうしても「自分のことが好き」=「自己中心でわがまま」=「周りに嫌われて孤独になる」という思考から抜け出せません。
また、私はナルシシストが嫌いです。漫画やアニメでナルシシストのキャラが出てくるととてもイラッとしますし絶対にそういうキャラクターのことは好きになりません。
そしてこれも間違っているのですが「ナルシシスト=自分のことが好き」というイメージが強いです。
けど自分はナルシシストが嫌いだし、そうなりたくないから余計に「自分のことを好きになってはいけない」と考えてしまうのだと思います。
以前本でチラッと「ナルシシストな性格は両親に愛されなかったトラウマからきている」という話を読んだことがあるので、「ナルシシスト=自分のことが好き」という方程式自体が間違っています。
けどずっと間違って認識してきたため、これもなかなか矯正できていません。
認知と認識が歪みまくっていて大変です。
ホメ日記やできたことを書き出す、認知行動療法、心理学の本を読むなど、これまで10年以上さまざまな手法で自分を愛せるようになろうと努力してきました。
けど直せなくてもどかしくて自分に対してもイライラして…を繰り返していました。
結局、ふたを開けてみたらそもそも本心は「自分のことなんて好きになりたくない、好きになったら嫌われて孤独になるから怖い」でした。
それは直るはずないですよね。自分が嫌がっているのですから、好きにならない方を無意識に選択しますよね。
茶番かよ!!と自分で自分につっこみたくなりました。
まずは「自分を好きになっても大丈夫、孤独にならない」と自分を安心させてあげる必要がありそうです。
課題がはっきりと分かったのでよしとします。
気づくのに時間がかかりすぎですが、まぁもがいた時間は無駄にはなっていないと思うのでよしとします。
これで~いいの~自分を好きになって~♪
と歌うエルサのように、愛で恐怖に打ち勝ちたいです。
愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。
ヨハネの第一の手紙4章18-21節