死にたがっていた私が最期まで生きたいと思った理由

闘病の経緯

このブログには何度か記事を投稿していますが、私はキリスト教福音宣教会に来る前、ずっと希死念慮(きしねんりょ)がありました。

正確に言えば、キリスト教福音宣教会で信仰を持ち始めた後も、6年くらいずっとありました。

そんな私が、どうして今は「寿命が尽きるまで生きたい」と思えるようになったのか。

それはただ、神様の御言葉に出会って考え方が変わったからです。

鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師はよく、「最後までやりなさい」という御言葉を伝えられます。

聖書にも書かれているように、神様はアルパでありオメガだ。始まりと終わりだから、あなたたちも最後までやりなさい。
そうしてこそ最後にいらっしゃる神様に会えると教えてくださいます。

またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

マタイによる福音書10:22

もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。

へブル人への手紙3:14

最近、またこの「最後まで」という御言葉を伝えてくださったのですが、とても神様の心情を感じて感動しました。

全能者Gを信じていながら諦めるということはない。
不可能なことはない。最後までだ。これを座右の銘にして生きなければなりません。

みんな最後までやることを毎日祈ってあげるから、最後までやることを祝福します。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

再び社会で働き始めてから、私はまた自分が日本社会に適応できないのを感じて、憂鬱になってもいたし、今はいいけどこの先どうやって生きていけばいいのか、少し悩んでいました。

生きていくためには絶対にお金が必要だし、お金を稼ぐためには働くしかないし。

やはり生きるのって大変だな。

死にたいまではいかないけど、生きるのが少し疲れてしまう。

そんな風に感じていた時に、この「最後までやりなさい」の御言葉。

「どんな御心でこの御言葉が伝えられたんだろう」とお祈りしたら、割とすぐに答えが返ってきました。

「最後まで生きなさい」

神様にそう言われている気がしました。

三位一体とイエス様を信じている途中でやめたら、救いが失われる。最後まで主を信じなさい。

どんなことに見舞われても、最後までやってこそ救いを得る。

「最後までやりなさい」という御言葉が、神様とイエス様の答えだ。祈りの答えだ。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

大変でも、辛くても、悩みがあっても、難しくても、最後まで人生を生きてこそ、天国に行く霊をつくることができるから。

もし途中で肉体が死んでしまったら、霊になってからとっても後悔するだろうなと思いました。

「今が大変だからと言って死なないで、もっと肉体で生きて自分を素敵につくっておけばよかった!」とか言いそう。

そう考えたら、死ぬのは嫌だ。

最後まで、この世を生きたい。

なんだかそう思えるようになって、生きる気力が湧きました。

神様の御言葉はいつも、私の暗い考えに光を照らしてくれるし、下に向いた考えを上に向かせてくれる。

「死にたい」と思っていた私が「寿命が許す限り、最後まで生きたい」と思えるようになるなんて。

自分でもびっくりの大転換です。

いつも時に適って、自分に相応しい御言葉をくださる神様に、本当に感謝です。

主と共に、最後まで!

この記事を書いた人
こころ

2015年8月に適応障害の診断を受け、2019年2月から1年1か月休職し退職。
自分の心理を分析しながら、心の傷を癒していっています(^^)
キリスト教福音宣教会会員として神様の愛を学びながら、自分と他人を愛せるように頑張っています☆
ディズニー大好きで、特にベイマックスが大好き!(●ー●)
ディズニーのアトラクションは、ベイマックスのハッピーライドが1番好きです!
(詳細については↑の「”こころ”」をクリック☆)

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