自己肯定には根拠がないという話が衝撃的だった

闘病の経緯

私の永遠のテーマなのではないかレベルで何度も何度も当ブログで取り上げている「自己肯定感」について、先日同じ教会のお姉さんが面白い話をしてくれました。

その方は自他ともに認めるくらい自己肯定感が高い方です。

人間の9割は自分のことが好きだと思っているそうです。

それだけでも私にとっては衝撃だったのですが、さらに衝撃的な話をしてくれました。

それが何だったかというと、

自己肯定に根拠はない

という話でした。

目から鱗でした。

というのも、私は自己肯定感を高めるために自分の長所など自分を肯定するための「根拠」をずっと必死に探していたからです。

「~ができるから価値がある」

「~だから私はすごい」

こう言えるようになりたかったのですが、それは逆によくないということを知りました。

例えば「若くて美しいから私は素敵」だと思っていたら、「若さ」という根拠が失われたら自分は素敵ではなくなってしまいます。

「水泳が得意だから自分は価値がある」と思っていたら、「(何らかの理由で)水泳ができなくなった」自分の価値に自信がもてなくなるでしょう。

「牧師だから」「部長だから」「神様の新婦だから」など、何かの地位についても同じことが言えます。

その地位がなくなったら、自分に自信が持てなくなり、また価値がないように思えてきます。

「自己肯定に根拠はない」。

わかってみると、確かに根拠がある自己肯定感は不健康にすら思えてきますね。

『ミラベルと魔法だらけの家(“Encant”)』でルイーサが歌う「増していくプレッシャー」という曲を思い出します。

日本語吹き替え版の歌詞がまさにドンピシャなので、気になる方は聞いてみてください。

「何かができるから」「何かを持っているから」人間は価値があるのではなく、存在自体、命自体が貴重だということを真実に悟りたいです。

また、この話をしたとき「自己肯定感が本当にゼロだったら今生きていないだろうから、必ず自己肯定感はあるはず。生き延びてきた術が必ずあるから、それを思い出しさえすればいい」と言われて、確かにと思いました。

「肯定したきた自分」がどこかにいると思うので、まずはそれを見つけたいと思います。

がんばろう~(‘ω’)ノ