自分を腐らせる言葉と考え

闘病の経緯

5月に聞いたある説教が、私にとってはとても衝撃的でした。

どんな内容だったのか、少しだけご紹介します。

1.パン種のように腐らせる人たちの話を聞くな。
2.御言葉を聞いて、話した人の言わんとしていることを知りなさい。

イエス様の御言葉は「パリサイ人とサドカイ人たちが間違って教える教訓が腐らせるパン種と同じだ。彼らの教訓を聞いたら、信仰が腐り、救われたことが腐り、心が腐る」とおっしゃった御言葉です。

うわべだけで形式的な信仰をする<パリサイ人たち>は広場で叫び伝え、祈り、みんなに見せびらかす外見だけの信仰をしました。また、<サドカイ人たち>の教訓はイエス様と全く違う教訓で、腐らせるパン種のようなサタンの教理であり、教えでした。イエス様の教えを批判する教訓でした。
だから、彼らの教訓と教えを聞いたら信仰が腐り精神が腐って死亡圏に行くから、イエス様が五千人、四千人を集めておいて、裂いて詳しく話して悟らせてくださり、二度と彼らの教訓と教えを受けないようにと、御言葉のしるしを一目瞭然に見せたのです。
この時代もそうです。そのような人たちの話を聞いたら信仰が腐り、信仰が死にます。

鄭明析(チョンミョンソク)牧師の御言葉より抜粋

説教の本文となったのは、マタイによる福音書です。

子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。そこでイエスは言われた、「パリサイ人とサドカイ人とのパン種を、よくよく警戒せよ」。弟子たちは、これは自分たちがパンを持ってこなかったためであろうと言って、互に論じ合った。イエスはそれと知って言われた、「信仰の薄い者たちよ、なぜパンがないからだと互に論じ合っているのか。まだわからないのか。覚えていないのか。五つのパンを五千人に分けたとき、幾かご拾ったか。また、七つのパンを四千人に分けたとき、幾かご拾ったか。わたしが言ったのは、パンについていではないことを、どうして悟らないのか。ただ、パリサイ人とサドカイ人とのパン種を警戒しなさい」。そのとき彼らは、イエスが警戒せよと言われたのは、パン種のことではなく、パリサイ人とサドカイ人との教のことであると悟った。

マタイによる福音書16章5~12節

間違った行ないや考えを教える人の話を聞いたら、それがパン種のように自分の中で膨らんで、結局自分を腐らせるというイエス様の有名な説教です。

私はこの御言葉を聞いて、確かに最近、私たちキリスト教福音宣教会のことを悪く言う人たちが多いことを知っているので、そういう人たちの話を真に受けないで、自分で判断するように気をつけようと思いました。

けどこの御言葉を基に祈ったとき、悟ったことがありました。

間違った教訓とは、聖書の命の御言葉から外れた理論と教訓のことです。

イエス様は先生(=鄭明析牧師)にいつも「私の言葉以外に、世の中の誰の言葉も信じるな。私メシヤ・イエスの言葉だけを信じなければならない。他の人はメシヤではない」とおっしゃいました。
それで今まで腐らせるパン種のような言葉、聖書について間違った教えを絶対に信じずに、イエス様が教えてくださった御言葉だけを信じました。
御言葉を聞いて変質していない人はみんな神様も、イエス様も褒めます。

今日の御言葉を聞いて、‐まずは「自分がこれまで行なったことについて話しているのではないか?」と確認し、考えなければなりません。引っかかることがあるなら、絶対に悔い改めなければなりません。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

聖書で神様がおっしゃっていないことなのに、自分が信じきっている様々な信念があることに気が付いたのです。

「よい子でなければならない」

「優秀で、他の人に迷惑をかけない人でいなければならない」

「社会人として、呑み会などのお付き合いは必要、お酒くらいたしなめなければならない」

「私生活よりも、仕事を優先しなければならない」

「年功序列」

「いつも完璧でなければならない」

「隙を見せてはいけない」

「人前でだらしないことをしてはいけない」

「社会人としてあるべき姿であり続けなければならない」

「よく思われなければ捨てられる、陰口を言われる」

「謙遜であることが美徳」

「大人になったらちゃんと働いて、自分で稼いで、自分で生計をたてられてこそ立派な大人だ」

「何かができていなければ、愛される資格などない」

「役に立てなければ捨てられるし、生きている価値がない」

私は、調子が悪くなると「べき思考」が非常に強くなり、苦しむことがたくさんあります。

けど、自分を苦しめるその「べき思考」は、一体どこから来たのだろうか。

御言葉を聞いて、このことについて深く考えるようになりました。

私が持っている「べき思考」は、神様がおっしゃったことなのだろうか。

答えはもちろん違います。

世間一般的に「よし」とされている思考、理想とされる姿、社会から求められる姿、「大多数がそうだから」「右に倣え」と、家庭や学校、社会で刷り込まれてきた思考。

もちろんそのすべてが悪いものだとは思っていません。

否定するつもりもありません。

けどそれらは、本当に神様からきたものなのだろうか。

「自分を腐らせるパン種」とは何なのか。

持っていても自分を苦しめるだけで、それが結局自分を腐らせるなら?

御言葉に照らし合わせて、神様の御言葉と違う内容であるならば、それがパン種なのだと思います。

だから、思い切って捨てなければならない。

説教を聞いて、このように悟りました。

繰り返しになりますが、私は調子が良くても比較的「べき思考」が強く、調子が悪くなると更に悪化するので、常に「べき思考」で自分をしばりつけてはいないのか、点検する癖をつけたいなと思います(;^_^A

日々自分づくりですね。

貴重な御言葉と悟りをくださった神様に感謝します!

この記事を書いた人
こころ

2015年8月に適応障害の診断を受け、2019年2月から1年1か月休職し退職。今は障がい者雇用枠で働いています⭐︎
自分の心理を分析しながら、心の傷を癒していっています(^^)
キリスト教福音宣教会会員として神様の愛を学びながら、自分と他人を愛せるように頑張っています☆
ディズニー大好きで、特にベイマックスが大好き!(●ー●)
ディズニーのアトラクションは、ベイマックスのハッピーライドが1番好きです!
(詳細については↑の「”こころ”」をクリック☆)

こころをフォローする
闘病の経緯
シェアする
こころをフォローする