先週、ものすごく自分を責めてしまった時がありました。
ある用事があったのですが、それが思うようにうまくいかなかくて、結果を出せなかったのです。
「どうしてあの時一言言わなかったんだろう。言えば良かったー」と言って自分を責め、うまくいかなかったのはすべて自分が悪い、自分のせいだと思って、酷く自分をいじめてしまいました。
そしたらストレス溜まってお腹が痛くなるわ、何も手につかなくなるわ、食欲も落ちるわで、散々な目に遭いました(-_-;)
「終わっちゃったことは仕方ない」とか「次頑張ろう」とか、いろいろと前を向こうと頑張ったものの、効果はなく。でも自分が悪い、自分のせいだ、自分がうまくできなかったからだという思考から抜け出せなくなりました。
私は寝て忘れるタイプではないので、次の日も、昨日のことを思い出して自分を責めてしまいました。
ていうか夢の中でも「何やってるの?こんなんじゃだめだよ」って怒られてる夢を見ましたw
とにかく苦しくて苦しくて。そんな時に限ってカウセリングを予約していなかったので、余計に苦しくて。
「このままではだめだ」と思って、神様にお祈りしました。
お祈りして自分を責めたことを悔い改めようと思って口にするものの、自分が悪いんだから自分を責めることの何が悪いのか分からなくて、口先だけの悔い改めになってる感が半端ない。気持ち悪い。
ということで悔い改めの祈りからシフトチェンジして、とにかく苦しいから「神様、助けてください」と切実に祈りました。
その瞬間、苦しかった心が急に消え去って、ようやく心が落ち着くようになりました( ;∀;)!
祈りすごすぎる。切実な祈りの届き方半端ないと思って、びっくりしました。
最近、<一言言わないことで問題が生じる>というケースがすごく多かったので、余計に<一言>の大きさが身に沁みました。
「助けてください」って、ものすごく久しぶりに言った気がします。
私は自分一人で抱え込んでしまうことが多いタイプで、仕事でも、分からなくても人に聞かないで自分で解決方法を探して自己完結してしまうタイプです。
「助けてください」って、ヘルプサインを出すのが下手なんですよね(;^_^A
だからお祈りする時も、「助けてください」って言うの、すごくためらったのですが、あまりにも苦しくて、心の救いを求めて言った瞬間聞かれたので、すごくびっくりしました。
今思えば、「神様、助けてください」という一言を、神様はずっと待っていてくださったのかもしれません。
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
マタイによる福音書7:7-11
求めないと与えられない神様の法則があるので、私が「助けてください」を言う時まで、神様は待っていてくださったのかもしれません。
<一言>を添えるか添えないかって、ものすごく大きいですね。大事ですね。運命変わりますね。
私は話すの苦手なので、いつも<一言>が足りていないのかもしれない。
このような気づきを与えてくださった神様に感謝します。
自分をいじめるのも、やめる努力をもっとしてみたいと思います…辛み。
今日はこの辺で。最後まで読んで下さりありがとうございます\(^o^)/