愛着障害、共依存を治せる唯一の方法は

闘病の経緯

今年に入ってから愛着障害や共依存、アダルトチルドレン(以下「AC」)が原因で、主に人間関係で苦しくなることが多く、心身ともにひどく調子を崩していました。

アダルトチルドレンとは?という方は「適応障害かつHSPかつ愛着障害かつアダルトチルドレンだった経緯」、

愛着障害って何?という方は「適応障害かつHSPかつ愛着障害だった経緯」、

共依存とは?という方は「適応障害かつHSPかつ愛着障害かつアダルトチルドレンかつ共依存だった経緯」をご覧ください。

子どもの頃に満たされなかった欲求は、体が大人になるからといって自然と満たされるわけでもなく、空っぽのままです。

精神が成長しても、同様に空っぽのままなので「満たして!」と時々インナーチャイルドが暴れ出します。

そうすると相手に対する期待や欲求のバランスがうまくとれず、人間関係で問題が生じます。

本当に困ります。

相手にも迷惑だし、自分も疲れるしいいことが一つもありません。

人生を生きていく中で、人間同士が一緒に生きていく技術も学んでこそ、生きていくのが楽だ。生活をする上で必要な様々な技術を毎日学び、すべて研究すべきだ。
自分の主観、考え、気性、血気どおりに生きたら、一人で生きる世の中、一人で生きる社会ではないから、人々とぶつかる。互いに怪我をし、争って害になる。
石も削られた石がよく転がる。人も心を丸く、よく磨いたら、人生をよく生きていくようになる。
自分一人で生きていくとしても、生の技術を学ばなければならない。そうしなければ心が苦しく、生が困苦だ。貧しくなる。
自分の心、考え、精神を扱う技術を本当に学ぶべきだ。祈りつつ神様の前でも、聖霊様の前でも、毎日熱心に行なって学びなさい。心を治められなければ、瞬間で狂った人になることもある。

鄭明析(チョンミョンソク)牧師の説教より抜粋

説教の通り、自分1人で生きるわけはないので人と一緒に生きていく技術も学ぶ必要があるし、自分の心、考え、精神を扱う技術も本当に学ぶ必要があります。

特にAC、共依存、愛着障害など人間関係に大きな影響をもたらす症状を持っている人は特に必要だと自分自身痛感します。

勝手に傷ついて、勝手に落ち込んで、勝手に妬んで、勝手に疎外感を抱いて、勝手に怒って、1人芝居でもしているのか?と自分につっこみたくなるくらい心の波が激しくてつらいです。

もちろん治したいです。

けど、どうしたら治るのかが問題です。

本やネットで調べる限りだと、やはりカウンセリングなどで経緯を整理して、過去の傷を癒やすことも必要だし、自分が子どもの頃の自分を愛してあげ、その時の感情を受け入れてあげることが必要だなどいろいろ書いてあります。

信頼できる人を見つけて愛を満たしてもらう、受け入れてもらえる感覚をつけるのも効果的だと聞きました。

けど、最近自分が思うのは「自分が自分を愛さない限り治らない」ということです。

いくら第三者から愛を注がれても、受け取り皿自体が壊れていたりヒビや傷があったりしたらそこから漏れてしまいます。

私は本やネットで解決方法を調べていたとき、「信頼できる人から無条件愛してもらえば満たされる」というような文章を見つけました。

それを読んだとき、「私は神様に出会っているのに治らないんだけど…」と心の中で反論しました。

そのとき、「そもそも器が壊れていたら満たされない」という考えが思い浮かびました。

言い換えると、自分が自分を愛してあげて「自分は愛される価値がある」と認めない限り、いくら第三者が愛を注いでくれても、その愛を受け止められないということです。

まさに私がそういう思考をもっていて、自分を愛することに非常に抵抗があり、無意識レベルで脳が拒否しています。

自分が誰よりも自分のことを嫌いなのに「愛している」と言われても、まず理解ができないですし信じられないです。

うさぎみたいに「ハァ?」と言い返しそうです。

だからこそ聖書にも「自分を愛するように隣人を愛しなさい」、「自分を愛する」ことが先にあるのだと思います。

また、無条件愛されると「お返ししなきゃ」「申し訳ない」「こんな私がここまでされる権利なんてない…」と思ってしまいます。

むしろ「あぁ倍で返さないと」と思うので負担ですw

けど、そういう考え自体が病気なのだなと思います。

無条件の愛で接してくださる神様とは違う、条件付きの愛しかわからないことが問題なのでしょう。

無条件、ありのままの自分の存在を受け入れて認めてあげることができたら、相手の愛も素直に受け止められそうな気がします。

AC、共依存、愛着障害の解決方法は、「愛してくれ」と周りに求めるのではなく、自分が自分を愛してあげさえすれば、解決できるのかなと最近考えています。

そのようなタイミングで出た御言葉がまさに答えでした。

人に頼んだらすぐにしてくれる場合もある。しかし自分がすべき仕事は神様に願い求めて待っていても、神様も人もやってくれない。
自分の仕事は自分がやればいい。他人に頼むこともない。
大きい仕事は神様がなさり、小さい仕事は自分がやるのだ。自分の仕事だから、神様に願い求めて待っていないで、祈って自分がやりなさい。

鄭明析(チョンミョンソク)牧師の説教より抜粋

誰かに愛してもらうことを待つのではなく、自分が<自分を愛するという仕事>をしなさいと言われたように感じて「アーメン」としか言えませんでした。

神様に背中を押されたといいますか、「あなたが悟ったことが正しいからやりなさい」と後押しされているように感じました。

まぁ

自分を愛することが難しいんですけどね。

どうしてここまで自分のことが嫌いなのか、自分を愛することを拒否するのか、もう少し自分の心と向き合ってみます。

最近ハマっているスマホゲーム『ディズニーツイステッドワンダーランド』でポムフィオーレ寮の寮長、ヴィル・シェーンハイト様が「たとえ周りが許しても、アタシがアタシを許せない…!」と言っていたセリフがマジで超共感だったので、ヴィル様を深堀したら何か自分にも参考になるヒントが見つかるかもしれません。

念のため明記すると、ここでの「共感」は「うん!ヴィル様の行ないは許せねぇ!」ではなく、「他の人が許してくれても自分だけが自分を許せない気持ちわかる~!!」の方です。

世界的スーパーモデルの苦悩はもちろん凡人の私には想像がつきませんが、自分を責めてしまう気持ちは想像できる、というニュアンスです。

その後のルーク・ハント先輩の「キミ自身がキミの美しさを認めておくれ」もヴィル様と一緒に「っ…!」となったので、深堀してみます。

生きづらさから解放されるために、続けて努力します。

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